フォントを小杉丸に
このサイトを参考に、WordPressのフォントをNotoSansから小杉丸に変えた。
これが予想外に気持ち良い。一気にネットに公開しても良い文章、って感じがしてきた。
これはなぜか。というと、多分フォントの見た目って予想より重大だからだと思う。
しかしかといって、ここ以外に文章を書こうとは思えない。やっぱり無理だ。何でだろう。疲れてるのだろうか。
見た目をnote風に
疲れたついでに、WordPressの見た目をnoteみたいにしてみた。以前もやった気がするけど、リベンジマッチだ。
標準のデザインは雑誌みたい、と言われてたりしたけど、まさにそれかも。対してnoteは文庫本らしい。
自分はこうやって文章をメインにしてる筐体が好きなのかも。
タイプライタースクロール、他色々でカスタムして、Obsidianを執筆環境にしている。なので、WordPressのエディタも同じく徹底的にカスタムしてみるか。
見出しで構造化しない
1時間試行錯誤してみた結果、WordPressというか、ブログ系全体への嫌悪感の理由が何となく分かってきた。
犯人は見出しだ。そもそも自分は、こういう風に流れで物事を考えている。なので構造化して文章を書くことに慣れていない。
後から参照する分には見出しがあった方が良いんだろうけど、それは本領では無い。あくまでSEOや見る人のため、という認識で十分だ。
なので最低限、ひとつの種類だけ見出しを入れるようにしてみた。H3見出しだ。大きさもnoteの小見出しと同じくらいで丁度良い。
そもそもここに書くときも、基本は文章、そして後から見返すときに意味ごとに空白を入れたりすることで、見出しを代用している。
そもそもネットの文章ってあくまで私見だけど、見出しを読むことが全く無い。自分がそうしないんだから、発信できる訳が無いっていう当たり前の結論だったかもしれない。
小説みたいに流れで読む分には電子書籍でも良いってのと関係している気がする。ブログについても、こうやって文章で書く分には良いのだ。
これでひとまずやってみよう。皆のスタイルとは違うけど、自分なりのデザインにした方が絶対に続けやすいはずだ。
事実、こういう文章の書き方からの変換が面倒なせいで、公開を億劫に思っていた可能性もある。
ブログデザインは引き算が良いかも
ブログデザインはとにかく引き算、なのかも。自分が不満に思う部分をどんどん消していって、どうしても残したい部分以外を無くすと、良くなった。
noteに書くより良いかも。ここまで整えて初めて、自分は書く気になれるのだ。とにかく引き算、視覚ノイズを減らしていくことが大切。
記事では無く思考のログを置いてみる
そもそも公開に対する考え方が変わってきたかもしれない。WordPress、noteのいずれもきちんとした「記事」が置かれる場所という感覚がある。
対してここ、Obsidanは完全なパーソナルな場所だ。それをどう見るか。そもそもここから、文章を出す必要があるのか。
情報的にみられて不味いものは出さないにしろ、あくまで自分用として、考えたログを全世界に公開してみるという試みは面白いかもしれない。
というか、あくまで趣味としてやっているのだから、わざわざ公開の為にメモを作り直す、という作業はやっぱり冗長だ。やりたくない。
noteではそれをやっていたが、WordPressは自分の城だ。自由に書いても誰にも何も言われない。いわば無敵の城塞。
読まれなくても良い。というか、紙に書いてその辺に捨てておく感覚に近いとまで言ってよいかも。
自分はこれについて、深刻に考え過ぎていたのかもしれない。ある程度の文章量があれば、どんどん公開してOK。そんな風に考えられると楽になるのかも。
というか、AIよりマシだ!、AIより。巷にはいかがでしたブログや、AIを使った文章が大量にあふれている。
それに比べれば、自分のこういう思考ログのの方がまだ役立つ、と言えるのかもしれない。判断するのは自分では無く、人だ。
特に公開して自分にデメリットが無いのだから、やってみるだけ価値はある。プラスのみだ。と言う風に考えてみる。
こう考えられるようになったのも、サイトのデザインがnote風になったからだろう。良い記事を書かなければ、というプレッシャーから解放された。
記事の変わり目には見出しを入れる
いつも通りこうして記事を書いていたが、書き方のポイントにさらに気づいた。まず文章をバーッと書いて終わるのはいつも通りだが、内容の転換点で自分は空白を作っている。
これもいつも通り。普通の改行は1行だが、変わり目は2行にする。Enterを2つタンタンと押すだけなのでとっても楽だ。書いていてもノーストレス。
一方これをそのままWordPressに貼り付けると、せっかく書いたのにスペースが全部消えてしまう。これはいけないとなったが、直感的に解決策を思い付いた。
その下のブロックを流し読みし、タイトルを付ければ良いのだ。これこそ、自分が忌み嫌っていた見出し。
しかし、段落を読んでH2見出しを追加するくらいは、書いた直後であれば屁では無い。しかも記事としての体裁も保たれる。WinWinだ。
見出しは嫌いだったのに、強制的にその役割に気づかされた。やはりこうやって納得しないと、自分みたいなタイプは使う気になれないのよ。頑固だから。
なので、H2見出しはこの記事においても使おうと思う。結果的に、後から見返しやすくなればありがたい。

